なんとかリベンジしまなみ遠足 #しまなみ海道100km遠足(とおあし)

(コース) 広島県福山市福山城→《しまなみ海道》←愛媛県今治市今治城


(日 時) 2000年6月4日


(種 目) 100キロマラソン


(天 候) 午後2時頃までは曇っていてそれからは晴れマーク


(伴走者) UMMLの中村@高松さん


(タイム) 15時間48分くらい (^^;


《完走記》

 夜明け前の町をスタートラインの福山城目指して歩く。隣の中村さんに空の様子をきくと、星も月も見えない曇り空ということである。

 城への砂利の登りに入ると、昨年のことがいろいろと思い返される。

 100キロへの初挑戦が昨年のしまなみであった。そして敢えなく50キロ手前で自滅。その後一度だけ四万十ウルトラで100キロの完走を経験したが、昨年のリベンジと言うには、正直言って準備不足は否めない。

写真:スタート前のUMML集合写真。上段左から小倉さん、すずやんさん、中村さん、源気、藤原さん、下段左から宮城さん、水野さん、ふじもっちゃん、内園さん

 4時半過ぎ、スタート地点にはもうほとんどのランナーが集まっている。昨晩のUMML前夜祭のメンバーも、みんなリラックスしてスタートを待っている。それんしてもUMMLのメンバーは走りの方も飲む方も豪快な人ばかりである。スタート前にはFRUNのまなみさんも元気そうに声をかけてくれた。今回初挑戦ということだが、あまり緊張してる様子もない。

 いよいよ5時が近づき、主催の海宝さんの大会全体の雰囲気を表すようなありがたいお言葉が、ランナーの顔をほころばせる。そして鍋をたたくような半鐘の音。ぞろぞろと集団が動き始め、僕らも城の砂利道を歩きで下り出す。今日の長い一日が始まりだ! 中村さんよろしくお願いします。

 昨年同様暴走族の爆音が見送ってくれている。500m地点くらいまでUMMLのすずやんさんも近くを走っていたが、ゴールでの再会を告げて前に消えていった。ウルトラのスタートはみんなリラックスしていて、いろんな話し声が聞こえてきてそれが実にいい。

 10キロ過ぎくらいまでは2号線の脇道を通ったり、国道部分も歩道がしっかりしていて比較的走りやすいが、それを過ぎると所々歩道の狭いところもあり、伴走の中村さんもストレスを感じているようだ。

 歩道がしっかりしているといっても、国道のトンネルの中はダンプが通り過ぎると、耳を奪われ平衡を失いそうになる。自然に肩に力が入り逃げるようにペースが上がってしまう。

 潮の香りはまだしないが、海が近づいているのだろう。オオヨシキリのギョギョシーギョギョシーの声が時より聞こえてくる。中村さんはもうビールの販売機を探しているようだ。

 20キロのエイドで、靴に入った小石を取るために腰掛けたが、どうも身体が重い。やはり3日前に発熱したのがまだ完治していないのだろうか。今朝は緊張のためか3時間ほどしか眠れなかったが、起きたときの体調はそれほど悪くなかったような気がしたのだが・・・

 20キロのエイドを出て、ここからがいよいよしまなみ海道のスタートである! いわば今までの20キロはウォーミングアップのようなものであったはずだ。それにしては身体が軽くなってこない。

 一つ目の向かい島への橋は、歩道が狭くケーブルもせり出していてとても走れるような状態ではない。昨年もこの橋で2度ほどももを強打している。 (^_;)

 後続のランナーには申し訳ないが、ここは全て歩かせてもらった。

 橋を渡り終えて渋滞させてしまったランナーたちに、「どうもすみませんでした。」と頭を下げたら、「ちょうど休ませてもらってよかったよ! (^_^)」っと笑って応えてくれた。これもウルトラランナーのすばらしさであろう。   でもほんとうにごめんなさいね。 m(__)m

 一つ目の難関を無事通過して、中村さんも”ほっ!”っとしたのか、道の駅のようなところで不良高校生のように、こっそり隠れてたばこを吹かしている。(まあしかし最近の不良はどうどうとしているからトイレでこっそりたばこを吹かすようなしおらしさはないのかもしれないな。)

 再び走り始め、次は貝畑さんの待つ25㎞エイドを目指す。

写真:前夜祭にて。左から貝畑さん、源気(私) 夕べのUMML前夜祭のときにたまたま大会スタッフの方々も同じ店となり、そのとき貝畑さんに、「明日貝畑さんのエイドでおにぎりを食べますから!」と言ったのがどうもおにぎりをせがんだように伝わったらしく、エイドでは裏の方でこっそりと手作り特製おにぎりと銘菓をいただいてしまい、ゆっくりと休ませていただきました。   ・・・ううむおいしかった、ごちそうさまでした。 m(__)m

 30キロのエイドが近づくと道ばたでつりをしている人の声が聞こえてくる。道ばたから釣り竿をのばすと、もうすぐに海釣りができる。(゚o゚) 当たり前だが改めてここが島だということを実感する。

 昨年はこのエイドで因島大橋をバックにモアイさん(昨年の伴走者)と写真を撮ってもらったような・・・

 たしか去年はこの辺まではまだ元気だったような・・・

 ・・・などといろんなところで昨年のことが思い出される。

 因島大橋への登り階段はなかなかにきつい。橋の上にたどり着いたときはもう心臓がばくばくである。さすがにこの高さまでは潮の香りも届かないが、海の上と思うだけでも吹く風は気持ちいい。

 橋からの急な階段を降りて曲がりくねった坂を下りたところが35キロのえいどである。今年はその場で絞ってくれるフレッシュミカンジュースが新登場であった。   ううむ最高ぉ~っ!! もう一杯!

 歩道のない怖いトンエルを中村さんにしがみつきながら越えて、長い坂を下った当たりで、”あっそうだ、去年はたしかこの辺から歩き出したんだった。”ということを思い出した。今年はまだ歩いていないものの体は重く、”なんだ、これじゃあんまり去年と変わんないなぁ~。(^^;、また完走できないかな?”という気分になってきた。しかし、”昨年リタイアの中間点までは歩かないぞ!”と気持ちを取り直して、伴走のロープをしっかりと握り直す。

 40キロのエイドで25キロエイドで食べる予定で持参してきたおにぎりを口に入れたが唾液が涸れて、水で流し込まないとなかなか飲み込めない。

 生口島に渡る橋への自転車道の登り口では楽しそうなバーベキューのにおいと声が風に乗ってくる。思わず中村さんと、「ビールだけでも分けてもらいたいね! (^_-」。   ううむ、似た者同士である。 (^_^)々

 後半のためにこの登りは歩くこととして、どうにか完走へのわずかな期待をつなぐ。生口島に入り長い下りの自転車道の途中で中村さんの携帯が鳴った。出ようとしたら切れたが着信の表示は我が家の携帯であった。掛け直すと春凪(4歳の我が娘)が携帯を適当にいじっていて、どこかにかかってしまったのであわてて切ったということであった。今から高知の我が家を出て今治に迎えに来るところだと言うが、間違えでも娘の声が聞けてよかった。   気をつけてゆっくりおいでよ。(^^) お父さんももうちょっとがんばってみるからね!

 中村さんの一服タイムも終わり、とりあえず中間点を目指す。45キロのエイドではスタッフのおじさんが、「僕の父親も中途失明をして・・・」という話を聞かせてくれて、僕らに激励をくれた。

 中間点が近づき自然にペースが上がっていたのか、このころはずっと中村さんが僕のペースを落とそうと後ろから引っ張ってくれていた。

 時間はあまり気にしていなかったが、どうにか11時半頃歩かずに中間点に着くことができた。しかし脚はもうすでに疲労している感じで、また今年もゴールは無理かという気持ちが再び頭をもたげてきた。

 まあとりあえずゴールは無理にしてもできる限り前に進むことにして、ここはゆっくりと休憩することにしよう。

 濡れたシャツを着替えてゼリーとバナナを口に入れたら、もうあまり食欲がなくなってしまった。中村さんに、「おにぎりかなんか食べといたほうがいいよ!」と言われ一口かじったが、やはりあまり唾液が出てこないので販売機で買ってきてもらったポカリで流し込むように一つ食べた。

 一緒に休憩していたランナーが中村さんに、「伴走しながら100キロ走るのって大変でしょぉ~う。」と尋ねると、「ずっと二人で走ってられる方が楽ですよ!お互いに励まし合いながら行けるしね!(^_^) それにお互いにやめるとも言いづらいし・・・!(^_-」と応える。   中村さんのこの気楽さが僕にはほんとうにありがたい。

 エイドのスタッフをしていたある女性が、「源気さん、だんだん力をつけてますね。私一徹さんと初めて四万十の60キロを走るときに紹介されたんですけど。昨年の四万十100キロでも見かけたし・・・」と声をかけてくれた。ごめんなさいm(_._)m、僕全然覚えてません(^^;が、とてもありがたいです。走り初めて3年半、暖かい人のつながりが少しずつ大きくなってきたのを感じる!

 昨年の忘れ物からのスタートはここからである。あまり調子は良くないがとりあえず前へ進もう。

 ゆっくりと走り出すが深く息を吸い込むと胃が苦しく吐き気がしてくる。だんだん気持ちも憂欝になってくる。中村さんも心配そうに声をかけてくれるが、とりあえず次の島まではがんばりたかった。

 ときどきこみ上げてくる吐き気をこらえながら走っていたが、「やっぱり歩きましょう! そして調子が戻ったら走り出せばいい。このまま歩いても10時か11時には着くよ!」との中村さんの言葉に少し気持ちが楽になり、”今回もまたゴールにはたどり着けないかも知れないけど、とりあえず歩けるだけは前に進む!”と言うことにして、それを中村さんにも伝え歩き始めた。

 2キロ歩いて1キロ走るというような感じだったが、なかなか昨年リタイアの生口島から抜け出せない。

 気分が悪くなるとすぐに頭の中は、”またゴールにたどり着けないのでは・・・(^^;”っという気持ちに占領されそうになる。それでも、”今日のような6月にしては珍しいウルトラ日よりにゴールを踏めなかったら、僕はしまなみはずっと完走できないし、ウルトラもあきらめなくちゃいけないのでは・・・! (^^;”っと言うような気持ちで、どうにかそれを否定するために歩ける限り前に進もうという感じである。

 橋を渡り大三島に入ったときに思わず、「やっと昨年リタイアの生口島から抜け出せた!」とつぶやいてしまった。中村さんも隣で苦笑いをしている。

 橋からの下りは重力を利用してどうにか走れているが、ほんとうにやっとという感じで60キロ地点付近の大三島エイドに着いた。

 いつの間にか陽も射し始めていて、エイドで手渡された濡れタオルとスポンジが気持ちいい。しかし胃の方は相変わらずで水くらいしか飲む気になれない。

 大三島はしまなみのルート中で一番観光が盛んなようで、観光客の間を颯爽と走り抜けたいところであるが、理想と現実には大きなギャップがある。 今は吐き気をこらえて汗まみれのきたない体でよたよたと歩くのがやっとである。 (^_;)

 観光地帯を少し過ぎたあたりで、すずやんさんから連絡が入る。もうそろそろ伯方島を出るところだと言う。僕らの8キロぐらい先を走っているようだ。ついでに伯方島のエイドが充実していたという情報をもらい、ちょっと元気が出る。 (^_^)々


 ~ このあたりはどうも記憶の混乱地帯でありまして(^^;、焼き肉の匂いのする海水浴場の様なところを、敷き詰められたウッドデッキの上を走って、それから右手に静かな波の打ち寄せる自転車道のようなところをしばらく走って・・・、んで、どうもここがつながらないのですが(^^;、左手にざーざーと早い塩の流れの音を聞きながら、狭い海峡にかかる橋への登りをとぼとぼ歩いていたような・・・ (^^;

 ・・・ううむ、やっぱりそれは大三島の手前の橋だったかなぁ~? (?_?) それとも大島に渡る島だったかなぁ~。 (^^; ~


 伯方島に渡る橋への登りで、なぜかまた走れるような気になってきた。昨年の四万十ウルトラのときにKadoさんが、「ウルトラには復活があるからね!(^_^)」っと言っていたが、これがウルトラの復活というものなのだろうか。

 伯方島の最初のエイドに着いたときに、「源気さん今回はだいぶがんばって走ったね!(^_^)」っと中村さんが笑いかけてくれた。ここのエイドはオレンジジュースだっただろうか? とても気持ちよかったような・・・

 でもエイドのスタッフの人はさすがにちょっと待ちくたびれたという感じである。   でもスタッフのみなさんが待っていてくれるのはほんとうにありがたく、ほんとうに救われる。 m(__)m

 次のエイドはそうめんと選手の名前をコールしてくれると言う噂のエイドである。そうめんの引力かウルトラの復活かはよくわからないが、なぜか走れる。後から振り返ってみてもこの区間は「あっ!」っと言う間だったような気がする。

 エイドが近づくと曲がり角ごとに女の子が立っていて、「何百メートル先を左に入って下さい!(^^)」とか、「もうちょっとですからがんばって下さい!(^^)」と声をかけてくれる。だんだん浜崎あゆみの曲(たぶん?)と選手をコールするスピーカーの音が大きくなる。いよいよ中村さんが呼ばれ、そして僕も! p(^o^)q

 ここがゴールというわけでもないが、ついつい「うっ」っとこみ上げそうになる。

 元気のいい昔のお姉さんたちに迎えられ、こちらも自然に笑ってしまっている。夢にまで見たそうめんを一杯!   ううむとても気持ちが良くおいしいが、今の胃の調子では一杯がやっとである。 (^^; あとはお茶をもらってゆっくりと休ませてもらおう・・・ っと思ったが、元気なお姉さん方がそうめんのお変わりとようかん、キンカンなどを楽しげな会話と共に代わる代わる持ってきてくれる。 (^^;

 「リタイアをして言い訳を重ねる人は、私生活でもいろいろと言い訳をしている人だ!」という海宝さんの言葉に共感したというおば・・・ じゃなかった(^^;、お姉さんにいろいろと励まされ、元気をもらい、「来年もここに来るね!(^_^)」っと約束をして、また一歩を踏み出す。

 中村さんがコーナーに立っている女の子たちに、「今日は日焼けしちゃうね!(^_- ありがとうね」と声をかけると、明るく笑って僕らを見送ってくれた。橋への登りをかなり登っても、いつまでも71キロエイドのマイクの音が響いてくる。

 橋を渡っていよいよ最後の島である。今までの島は橋への上り下り以外はそれほどアップダウンもなかったが、この最後の大島は通り抜けるために3つ程峠を越えたような気がする。75キロを過ぎてからのこのアップダウンはさすがにしんどい。 (^^; ”ウルトラの復活もここまでか・・・(^^;”という気になる。

 昨年の四万十以来思うように練習もできず、今年2月の吉備路フルもぼろぼろであった。3月もいろいろなしがらみであまり練習もできず、このままでは今年もしまなみに杭を残してしまうと思い、4月は中村さんの桜道までに月間走行270キロを目標にして、どうにか月間310キロ。5月もそのペースを維持して330キロを走ることができた。

 3年前に走り初めて以来、月間300キロを超えたのはこのときが初めてである。月間300キロが超えられればもうすこし違った走りができるようになるのかと密かに期待していたが、やはり早歩きに毛が生えたような300キロではあまり効果はなかったようである。それとも付け焼き刃的な2ヶ月前からの300キロではしょうがないのだろうか・・・。 (^^;   まあこうして今歩けているのも月間300キロのおかげなのかも知れないな。

 銅鑼の音に迎えられて、77キロエイドにどうにか辿り着く。中村さんは早速スタッフのビールをめざとく見つけて、しきりにせがんでいる。 (^_-

 さすがに僕は飲む気にはなれない・・・、 っと思ったが、隣から、「プシュッ! ごくごくごく・・・ あぁ~っ!」という音を聞かされては胃に穴があいてもかまわないという気にさえなり(^^;、ついに、「僕にも一口下さい。 (^_^)々」っと懇願してしまった。 (^^;

 スタッフの人がつまみにおいしいプチトマトと手作りの素朴な味のするところてんを持ってきてくれた。「ここは橋が繋がっても通過点だから全然観光は延びないですよ。」と役場観光課の職員の人が苦笑いをしながら言っていた。

 非力ではあるが、来年はここでビールが飲めるような体に鍛え直してこの島に来ることを誓い、エイドに別れを告げた。   We shall return overcome!!

 ここからは昨年のしまなみスーパーの時に中村さんが『ごっくん私設エイド』をやった峠までだらだらと登りが続く。登り坂ではもう走る気力も残っていないが。先月の海宝さんの講演会で聞いた「ここでやめてしまったらそれから先は何もないけど、一歩でも前に進んだら新たな出会いや感動が待っているかもしれないよ!」っという言葉を信じてどうにか気持ちを前に向ける。

 ピークの直前で、ふじもっちゃんからの11時間台でのゴールの朗報が入る!   自分の記録を破られた中村さんちょっと悔しそう。でもほんとうに友の健闘を喜んでいる!

 電話を切って、さて自分もがんばらねば! っと坂道を利用して走り出すが、なかなか次のエイドに辿り着かない。同じ5キロでもだんだんだんだん長くなっているようだ。 (^^;

 やっと役場前の82キロエイドだ。どうにか完走できそうな気がしてきた。

 ゴールが遅くなれば伴走の中村さんをはじめ、後半のエイドやゴール会場のスタッフの方たち、ゴールで待っている仲間たち、迎えに来てくれている家族たち・・・ETC、みんなに迷惑をかけるとはわかっていたが、今回だけは迷惑をかけてしまうことを承知でわがままを通させてもらうことにした。   m(__)m

 それでもできるだけ9時までには今治城に着きたいという気持ちがどこかにあり、必死で歩いている。

 もう一つの峠を越えて・・・、ほんとうに大島は大きく感じる。 途中から中村さんとの会話もほとんどなくなり、声もかけずにいきなり走り出したり歩き出したりとかしてしまい、中村さんにもかなりストレスをかけていると思う。

 僕のわがままなペースに合わせて伴走しながら100キロを走れる中村さんはほんとうにすごい。

 いつまで経っても来島海峡大橋に辿り着かないので、「中村さん橋はまだですか?」っときくと、「源気さんの頭の上だよ! (^^)」と言う。   ううむ、たしかに遥か頭上から往来する車の音が聞こえるような気がする。 (^^;

 案の定程なく階段を織り交ぜて永遠と橋への登りが始まる。

 スタッフの人に、「遅くなってすみません。 どうもありがとうございます。 m(__)m」と声をかけて、ようやく最後の橋の手前のエイドに辿り着いた。”どうにかここまで来ることができたか!”と心につぶやきかける。陽はだいぶ傾いて、おそらく橋を渡りきる頃には沈んでしまうだろう。「このペースで行けば9時までにはゴールできる予定なんだ!」と他のランナーの声が聞こえる。

 来島海峡大橋自体もアーチを画いているようで、中間点までは緩やかな登りが続く。少し走ってみるが、すぐに根気がなくなる。

 橋の中間点を過ぎた頃に、「わぁ~っ! 源気さん見えるぅ~。海に沈む夕焼けがすごくきれい。オレンジ色に輝いてて・・・ (゚o゚)」と中村さんが感嘆の声をあげる。

 残念ながら僕には薄ぼんやりとしたオレンジ色の光しかわからなかったが、感動は十分に伝わり、頭の中には素晴らしいサンセットのイメージが広がっていた。

 「どうにか四国に帰ってきたぞ!」橋を渡りきったエイドから今治に迎えに来てくれている家族に9時か9時半頃にゴールに着く予定だと連絡すると、「あと8キロなんだからそんなに時間がかかるわけないじゃないの!」と言われてしまった。普通に走れれば45分もあれば余裕で着くのだろうが、歩くのさえ普通にできない状態では1時間半でもきついのである。 (^^;

 中村さんがたまご饅を口に放り込んでくれる。ここに来てだいぶ胃の調子も落ち着いてきた感じだ。しかし足の方の疲労はピークに近づいている感じで、中村さんの指示も足に上手に伝わらない。

 それにしてもエイドのスタッフの人は、こんなに遅いランナーでもいやな顔一つせずやさしく話しかけてくれる。ほんとうに大会というのはスタッフの理解と協力なしでは成り立たないものなのだろう。   m(__)m

 エイドからの下りは少し走ったものの、そこから先はほとんど歩いてしまった。

 夫婦ランナーの奥さんの方が旦那さんに向かい、「ほらあんたもうちょっとしっかり走りなさいよ! サポーターもしてるんだからもう大丈夫でしょっ!」と叱咤している声が聞こえる。やはり後半になると女性の方が強いものである。旦那さんは無言で必死に歩く。そういえばこのころは僕らを追い抜いていくランナーはほとんどが女性だったような気がする。

 96キロエイドが近づき、「最後のエイドはパスしましょうね! 水だったらボトルにありますから。」と中村さんが言う。せっかく僕らのような遅いランナーのために待ってくれているエイドの方々への感謝の意味でも立ち寄りたい気もしたが、やはりここは9時までのゴールを目指し失礼させていただくこととしよう。 m(__)m

写真:ゴール手前100mくらい。暗がりの中左から中村さん、源気(私)。右端にうっすらと並走するすずやんさんすっかり空も暗くなり、頭も何も考えていないような状態だ。ただ今治城に向かって歩いているだけである。歩道の些細な段差でさえ足を取られてしまう。

 いよいよ今治城が近づき、遠くにゴール会場の放送の声が聞こえ始めた頃に、すずやんさんが迎えに出てくれていた。彼の声を聞いたときに思わず涙がこみ上げてきてしまった。しかし走りだそうと思っても歩くのがやっとである。藤本さんはさすがに11時間代の走りのダメージであまり歩けないと言うことである。それでも今治城への登り坂の入り口まで下りてきてくれていた。彼らの気持ちに触れたときに、なぜか不思議に走り出せていた。藤本さんもすずやんさんも、そしてもちろん中村さんも脚のダメージを忘れて一緒にゴールへの坂を翔登っていた!

 そしてゲート手前で中村さんが僕の手を高く挙げて、「やったぁ~っ!!\(^O^)/\(^O^)/」と歓喜の声と共に1年越しの100キロのラインを通り抜けた! (;O;)

 ゴールできてほんとうによかった!そして中村さん、僕のわがままを受け流して、いつもウルトラのゴールに導いてくれてどうもありがとう。 m(__)m

写真:ゴールゲート直前で中村さんが僕の手をとり、バンザイとともに今ゴールへ!

 感激の涙が後から後からこみ上げてくる。海宝さんも迎えてくれていた。「ほんとうにすてきな大会をありがとうございました。 m(__)m」

 テントで動けずに座っていたら、ふじもっちゃんとすずやんさんがビールとほにゃらかうどんを持ってきてくれた。二人ともほんとうに自分のことのように喜んでくれている。   こちらこそほんとうにありがとう m(__)m 今日のビールはえらく苦いが最高の味でした。

 貝畑さんも「おめでとう」を言いに来てくれた、少し冷たく小さい手だったが、がっちりと熱く両手で握手してくれた。   「おいしいおにぎりをほんとうにありがとうございました。」 ありがとうが言えてほんとうによかった。


 以 上



 今回は脚のダメージは二日ほどで回復したのですが、胃腸の調子が一週間以上も戻らず、歯茎が腫れて口が開けられない(^^; 食べられない(^_;) っという状態でした。

 ビールが飲みたいと思え始めたのは10日くらい経ったあとだと思います。 (^_^)々

 走り始めた頃には、100キロマラソンなんて言うのは超人的な体力と精神力がなければ走れないものだと考えていましたが、今回完走できたことで、どうやら人間には時間さえかければ100キロを移動する能力は備わっているらしいということがわかったような気がします。

 海宝さんの言うように、ほんとうに一歩先には新たな出会いと感動がたくさんありました。走っているときは辛いと思えたコースも、今振り返ってみるとほんとうにすばらしいコースだと思えます。   ほんとうにすてきな大会をありがとうございました。 m(_._)m

 

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