思いがけない100km完走でウルトラの世界へ! #四万十川ウルトラマラソン
先週は、四万十の直後から介護支援専門員の前期実務講習が続き、すっかりネットからも遠ざかっておりました。
今回6月のしまなみのクイを抜くために、リベンジとして四万十100キロを設定しましたが、夏場の雨続きと、身の回りのしがらみで思うように練習もできず、昨年より5キロも体重を増やしてのスタートラインでした。
KadoさんのHOMEPAGEで知り合った高松の中村さん に伴走を引き受けてもらい、前日の中村入りも中村さんの車で、途中Kadoさんとも合流してにぎやかに3時半頃到着。
受付で何人もの走りを通じて知り合った人たちに声を掛けてもらい、何となく心がほっとして、リラックスできて、明日はがんばろうと言う気持ちが出てきた。
ウェルカムパーティーにちょっとだけ顔を出して、ホームステイ先の知り合いの教会へ!
ここでもまたいろんな出会いがあり、参加者一人一人いろんな思いで四万十に集ってきていると言うことを再認する。
中村さんとKadoさんは寝酒のビールを楽しそうにやっていたが、僕は明日に心の余裕が持てず、お先に失礼させていただき、布団に潜りこんだ。 m(__)m
翌朝は思ったほど寒さも厳しくなく、重い身体でいよいよスタートラインに立つ。
これからの長い一日をイメージして何度か深い息を吸う。
5時半! ゆっくりと集団が動き始め、ほとんど最後尾から長い一日に踏み出す!
大会の2・3日前に走った後にあまりにも身体が重いので、どこかほんとうに具合でも悪いのではないかと思い、近くの病院で血液から尿、心電図と調べてもらったが、診断結果は”至って健康、どこも異常なし!”っという、要するに、お医者さんの太鼓判付きのただの太りすぎということが判明していた。 (^^;
んなもんで、自分自身どこまで走れるかも見当が付かず、キロ7分から7分半くらいのペースでポレポレ走るが、ちょうど同じくらいのペースで狭い道に救護車が追走しているので、伴走の中村さんはかなりのストレスを感じているようだ。
10キロ手前あたりでもう一組の視障者ランナーを抜かした。福岡から来たと言っていたような・・・ (^^;
コースは前半の標高差700mの山越えにかかり、周りには歩いている人も出始めた。僕は頭の中で”いつ歩き始めようか!? (^^;”などと思いながら、うつむき気味のフォームでピーク(20キロ地点)のおにぎりだけを目指したが、どうにか歩かずに走り続けることができた。
中村さんが設定してくれた通過タイムより、30分ほど早く越えられ、自分でもほっとした。しかしながら、未だに「どこまで走り続けられるだろうか!?」っという不安は拭い切れておらず、それほど気分も晴れてこない。
持病の膝をかばいながらゆっくりと33キロ地点の四万十川までくだろうとするが、どうしても重い体は重力に余計に引っ張られるのか(^^;、気が付くとペースが上がっている。
膝も少し重くなり、”40キロまでは走り続けて、あとは歩こうかな! (^^;”などと考える。
コースが四万十川とぶつかり、昨年一徹さんとスタートした鯉のぼり公園が近づいてくると、何となく懐かしさと共に、ちょっと元気がでてきたような気がする。
40キロを過ぎても、何となく走り続けていられたので、”こんどは50キロまで走って、そこから歩こうかな・・・ (^^;”などと、頭の中はどこから歩こうかとそればかり考えていた。
50キロを過ぎて、6月のしまなみリタイヤの距離を過ぎれたときに、しまなみのときに伴走してくれたモアイさんのことを思い出し、”やはりがんばらねば!”っと思い始める。
どうにか走り続けて、60キロ過ぎのカヌー館に辿り着き、芝生広場でごろっと寝ころんだら、
”ううむ、ここから先は一歩一歩が自分の新記録なんだなぁ~!”
などと思い、ちょっと気分的に元気が出てきた。
中村さんが芝生に腰を下ろすときの、「痛てててて (^_;)」の声を聞き、しんどいのは自分だけじゃないんだなっとあらためて思った。
カヌー館を出てから、少しずつ僕が中村さんに話しかけ始め、”そういえば、ここまで60キロ、中村さんの指示に対して、「はいっ!」っと返事する以外、ほとんど話しもしてなかった”っということに気づかされた。
それからは少しず津冗談を言ったり、話ができるようになった。
71キロを過ぎたとき、まだ走り続けられている自分がとても信じられないとともに、ひょっとしたらこのまま大きな故障がなければ完走できちゃうかも知れないと言う気持ちに初めてなれた。
先にゴールしたKadoさんから、中村さんの携帯に電話があり、「歯がうずくので先に帰ります!」とのこと、「ありがとう」の言葉と共に、思わず、「絶対完走します!」っと返事をしてしまいました。(^_^)々
75キロを過ぎたあたりだっただろうか、中村さんが突然腿の痛みを訴え、しばらく無口になってしまった。きっとかなり痛むのだろう。
中村さんはそれでも痛みをこらえて伴走をしてくれている。僕が「大丈夫ですか?」っと聞いても、「大丈夫大丈夫!(^^)」っと答えてくれる。
僕は心の中で、「もしここでやめることになっても十分満足である!(^^)」っと確信していた。
87キロの関門を越えたときに、中村さんも始めて完走できるかも知れないと思えてきたようで、声のトーンが変わってきた。
昨年の一徹さんを見習って、僕と中村さんは、最初から最後まで、エイドのスタッフの方々や沿道の応援の方々に対し、「ありがとうございました!(^_^)」っと答えながら走り続けてきました。
エイドで腰掛けて、再び走り始めるときには、腿も膝もアキレス腱も血が通っていないように、ただの棒のように感じられるが、不思議と10歩ほど歩くと走れるような気になってくる。ほんとうに今こうして走り続けることができている自分が信じられない! (゚o゚)
ゴール会場の中村高校までの最後の急坂を登り切り、「あと700m」の看板!
「お帰りなさい」の声援に、本当に帰ってこられたのだという気持ちがこみ上げてくる。
今年は泣くまいと思っていたが、やはりグラウンドに入りゲートをかけ登ったときは、どうしようもなく涙があふれてきて、中村さんに抱きついて
「ありがとうございました」
「絶対完走できるなんて思ってなかったのに、中村さんのおかげで完走できました!」
っとわ~わ~泣いちゃっていました。
本当に中村さんありがとうございました。 m(__)m
タイムの方は申し込み量の元を取るべく、たくさん食べて(●^o^●)たくさん飲んで(^_^)、なおかつ今回もすてきな出会いがいっぱいあって! (●^o^●) それでもって13時間45分も遊ばせてもらったので、大満足といったところでしょうか! (^_^)々
やはりウルトラの魔法は偉大です。 大会前のちょっとうつな気分も、走り終わってしまえば、すっかりどこへやら、介護支援専門員の宿題もちょちょいのちょぉ~いっ! ・・・ってなわけには、こちらはどうもいかないようです。 (^^;
最近身の回りが忙しくなり、思うように練習もできず、子どもたちがもうちょっと大きくなるまで、大会参加は自粛しようかなと思い、今回の四万十をしばしの休止符にしようかと思って望んだのですが、思いがけず完走できちゃったことで、”このまま休んじゃうのは、ちょっともったいないかな。。。 (^_^)々”というスケベ心が頭を持ち上げてきている、今日この頃の困ったちゃんでした。 (^_^)々
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